新型コロナウイルス流行下の緊急事態宣言と自由主義

新型コロナウイルスの流行が始まった2020年初め、欧米各国がロックダウンによって人の移動を制限したニュースをみて、自粛で済んでいる日本の方がよっぽど自由主義が進んでいるなどという気がした。

あれから約1年が経ち、いま考えてみるとこれは全くの間違いだった。この記事を書いている今は、二度目の緊急事態宣言が出されようとしているその日の早朝である。この緊急事態宣言は世論の要求があったような感があり恐ろしい。

日本人は自由を分かっていない

新型コロナウイルスが流行して以来、日本政府が行ってきたのは自由主義とは全く異なる。確かに私権の制限は行わないけれど、自粛を強制し、従わなければ社会的に抹殺するというやり方は、はっきり言ってロックダウンよりも恐ろしい。

自由主義思想に基づいても、一時的な私権の制限はあり得る。戦争や天災に遭遇したとき、自由を守るために制限しなくてはいけないことだってあるのだ。いま政府がやるべきは、休業を強制すると同時に補償を行うことである。

では、なぜ現在のような不条理なやり方が通用するのか。それは日本国民が自由を全く分かっていないからであると私は思う。日本は福祉国家と言われるが、片足は社会主義に既に突っ込んでいる。

普段から自由とは何かを理解していないから、緊急事態宣言で中途半端に自由が抹殺されても理解できないのである。野党から自粛と補償はセットであるという議論が出ているが、いうまでもなくこれは社会主義的思想によるものである。

新型コロナウイルスを乗り越えるために日本がやるべきこと

では、新型コロナウイルスのもとで経済的被害者を出さないためには何をするべきか。一番重要なのは、政府による介入と偶然をきっちりと分けることであると私は思う。

たとえ、感染症が流行したとしても、国民が自主的に外出を控えたなら補償は必要ない。政府による支援はあっても良いが、市場経済には運が付き物である。政府が過度に介入すれば自由を毀損するし、何よりも効率が悪いばら撒きはほとんど意味がない。

一方、休業を強制するなら粗利保証をすれば良い。自由の制限を行うのだから、政府が全面的に保証するのは当然である。こういった財政支出は自由主義の考え方と両立することはいまさらいうまでも無い。

では、自粛の要請はどうか。非常に中途半端では無いだろうか。自粛の要請ではどこまでが政府の介入による被害かわからない。一律でばら撒いても、誰にも保証しなくても、共に犠牲者を出すことになる。

今こそ自由主義を理解せよ

新型コロナウイルスを世界に拡大させた当の中国は、とっくに感染が収束している。この様子をみて、社会主義も一理あると考えるものがいるのが恐ろしい。新型コロナウイルスによる損失は自由の代償である。

最後に、『隷属への道  ハイエク全集 I-別巻 【新装版】』にも引用されている、ベンジャミン・フランクリンが述べた言葉を紹介しておく。自由主義のエッセンスが詰まっているので、いま一度意識したい。

ほんのしばらくの安全を手に入れるために、本質的で不可欠な自由を放棄してしまう人々は、自由も安全も持つ資格がない。