左翼からリベラル(自由)という言葉を取り戻せ!

リベラルという言葉の意味をみなさまはご存知だろうか。私の知る限り、ほとんどの日本人が知らないであろうと思う。リベラルと言われれば一般的には手厚い社会保障などを主張する、日本では共産党などを支持する人を思い浮かべるだろう。

しかし、彼らの主張は本来の自由とは正反対なのである。自由主義の大家、フリードリヒ・ハイエク著『隷属への道』によれば、自由とは本来、「政治権力の恣意的な介入や強制なしに諸個人の活動が行われること」である。

いうまでもなく、共産主義は政治権力による介入をあらゆる場面で認めることで成り立つ。では彼らはどういう意味で自由という言葉を使っているのだろうか。『隷属への道』によれば次の通りである。

経済的自由は、他者のどんな自由にも先立つ前提条件であるが、社会主義者が約束するような「経済的心配からの自由」とはまったく異なっている。後者(前述)の自由とは、個人を欠乏から遠ざけると同時に選択の権利からも遠ざけることによって初めて獲得しうるものである。

経済的自由というのは、言論の自由や表現の自由といった政治的自由と対をなす自由の概念である。本来、自由の意味は一つしかない。政治的であっても経済的であっても「政治権力の恣意的な介入や強制なしに諸個人の活動が行われること」である。

しかし、社会主義者は経済的自由という言葉を「経済的心配からの解放(自由)」という意味で使っている。つまり、左翼が使う自由は場面によって使い方が変わるのだ。このことにほとんどの日本人は気が付いていない。

結び

では、経済的自由を失わせる政治権力の恣意的な介入や強制とは何であろうか。それは規制と税金である。詳しい話は渡瀬裕哉著『税金を下げろ、規制をなくせ 日本経済復活の処方箋』を読んでいただくのが良い。

参考文献