ポーター仮説という名の社会主義理論への論理的批判

はじめに

この投稿では、自由主義の立場から、ポーター仮説という近年話題の経済仮説について批判を加えたいと思う。自由主義の立場については、フリードリヒ・ハイエク『隷属への道』が詳しい。

『隷属への道』はこちら

ポーター仮説は計画経済そのもの

近年、環境経済学の領域においてポーター仮説というものが大いに流行している。ポーター仮説とは、1961年、ハーバードビジネススクールの経済学者マイケル・ポーターが提唱した仮説である。

ポーター仮説

適切に設計された環境規制は、費用低減・品質向上につながる技術革新を刺激し、その結果国内企業は国際市場において競争上の優位を獲得し、他方で産業の生産性も向上する可能性があるとする仮説1

環境問題は自由競争を犯しかねないため、政府による規制が正当化される可能性は大いにある。しかし、技術革新を刺激し、産業の生産性を向上させるなどと言い始めたら、それは明らかな計画経済である。

しかし、この仮説の裏にある理論はより恐ろしいものであることをお伝えしておかなければならない。Stefan et al. (2016)2によると、ポーター仮説を説明するために採用された理論的アプローチには次の3つがあるという。

  1. 行動の失敗
  2. 組織の失敗
  3. 市場の失敗

行動の失敗とは次のようなものである。企業の経営者はリスクやコスト、または経営者の能力の不足によって優良な投資の機会を損失することがある。そのため、環境規制によって、投資を促進し、経営者の尻拭いをしようというのだ。

また、組織の失敗とは、例えば経営者が環境技術と生産性の両方を向上させる投資に関して独自の情報を握っている時、彼らがそれを会社ではなく自分たちの利益のために隠していることがあっては損である。そこで、政府による規制によって、経営者が投資をせざるを得ない状況を作り出し、企業の利益を向上させるというのだ。

すなわち、上記の二つは、個人の失敗を防ぐために、政府が政策で介入するというものである。個人の自由を直接侵害するだけでなく、そもそも失敗であるかすらはっきりしない。

一方で、三番目の市場の失敗というのも非常に恐ろしい。この理論にもいくつかの種類があるのだが、例えば、経済には先発の利益というものがある。新しい市場に一番先に入ってきたものがシェアを獲得しやすいというものである。

そこで、国内の産業に厳しい規制をかけると国内産業が環境技術において優位性を獲得し、新しく生まれるクリーンな商品の市場において高いシェアを獲得できるというものである。言うまでもなく、このような政策の影響、すなわち政府の失敗が市場の失敗よりも大きな被害をもたらすことは、社会主義者以外全員の常識である。

結び

以上のように、ポーター仮説の背後にある理論は計画経済そのものであり、個人の活動に政府が介入することで成り立つのである。以前の論説で言及したが、環境問題を自由主義理論の元で扱う余地は十分にある。

環境を建前にした自由主義社会の社会主義化は、今後の日本で最も懸念されることである。しかし、産業は自分たちの短期的利益のためなら政府の介入を受け入れかねない節がある。自由を守るのは唯一市民であることを認識しなければならない。

参考文献

  1. 環境問題と技術革新 ─ポーター仮説の今日的意義─
  2. Stefan et al., 2016