あらすじ
ジョン・スチュアート・ミル『自由論』、フリードリッヒ・ハイエク『隷従への道』と並ぶ自由主義(リバタリアニズム)の三大古典の1冊。
本書が出版されたのは1962年。100万部近く売れた大ベストセラーだったが、国内で書評に取り上げたのは、アメリカン・エコノミック・レビュー誌の1誌だけ。ケインズ派を中心とした経済学の主流派やメディアからは完全に黙殺された。なぜ? フリードマンが書いた内容があまりに「過激」だったからだ。
マルクス主義が20世紀を代表する思想だとすれば、フリードマンの自由主義は21世紀の主要思想になるはずだ。多くの復刊希望に応えての画期的な新訳で、リバタリアンの真髄が手に取るように理解できる名著。
感想
非常に理解し易かった。フリードリヒ・ハイエク『隷従への道』のように哲学的ではなく、具体的な例を用いて、なぜ政府の介入が自由主義の立場からすると望ましく無いのかが解説されている。
私がもっとも驚いたのは、医師免許への反対である。「最低限の品質を保証するためには医師免許は欠かせない」という通説が論理的に反論されており、現在の日本にも通ずるものがあった。
備忘録
市民の関心は広く薄く分散している。こうした状況では、利益集団からの圧力に対抗する仕組みがとくに用意されない限り、消費者に比べ生産者の方が、議会に対しても規制当局に対してもはるかに強い影響力を持つことは避けられない。(中略)利益集団の力に対抗するには、「これこれの事業は国がやるべきではない」という認識が広く浸透することしかないと私は考える。
それ故、一人でも多くの人が自由主義に賛同し、自分たちの自由を守るための意思表示を行わなくてはならない。
ほとんどの人は現状以外の選択肢を思いつけないし、ましていまとは違うやり方がよいなどとは考えてみることさえできない。私が政府への権力集中に反対し、免許制などの仕組みに反対するのは、まさにこのためである。そうした仕組みは実験や研究開発の余地を狭める。これに比べると市場は多様性に対して寛容で、専門知識や専門能力が広く活用される。
とくに一つ目の文章は私も大いに賛同するところがある。日本で生まれ日本で育ってきた者の中に、どうして医師免許を疑うものがあろうか。
いわゆる「大きな政府」の支持者が不満を表明する現象の多くは、大きな政府か小さな政府可を問わず、政府が引き起こしたのである。にもかかわらず、決まって市場経済が悪者にされ、政府の介入が正当化される。
現代の日本でも大いに見られる現象である。それにもかかわらず、政府による積極的な財政政策を主張する人が、日本には保守派の中にも多くいる。
結び
本書は一般書の類で誰にでも理解できる。一方で、巻末の高橋洋一氏のコメントにもあるように、非常に高度な論理性を兼ね備えた一冊である。もはや読まない理由が無い。