前澤友作氏に伝えたい、自由主義とお金配り

2019年1月5日の「100人に100万円、総額1億円を配るお年玉企画」以降、前代未聞のお金配りを続けている前澤友作氏が、先日、『今後のお金配りとフォロワー全員お金配りについて』というnoteを公開した。その中に次のような言葉が出てくる。

「民間主導の富の再分配」をもっと盛り上げ「寄付が当たり前の世の中にしたい」と思っています。日本は生活保護など各種セーフティーネットが充実した国ではありますが、実態としては困っている人はまだまだたくさんいますし、お金が理由で挑戦を諦めている人もたくさんいます。そんな人たちに対して、個人から個人への感情の伴った富の再分配が「寄付」として行き届くようになり、それが当たり前の世の中になっていくことで、一人でも多くの人が救われ、一人でも多くの人が挑戦に挑むことができ、一人でも多くの人が夢を叶えることができるような社会になると素敵だなと思います。

非常に興味深い取り組みだが、この目標は矛盾している。なぜなら、民間主導の富の再分配と生活保護など各種セーフティーネットはトレードオフの関係にあるからである。政府によるセーフティーネットを充実させていけばいくほどに、寄付などの文化は消滅する。

たとえば、政府が金持ちの資産に大幅な課税をして再分配を行う社会主義国家で、誰が寄付を行おうと考えるだろうか。これは私の持論ではなく、フリードリヒ・ハイエクの『隷属への道』で扱われているテーマである。つまり、日本で、寄付の文化が根付かないのは、日本が福祉国家という名の社会主義に足を踏み入れているからである。

では、自由主義の観点から見て、どちらがより望ましいだろうか。いうまでもなく、民間主導の富の再分配である。国家権力が市民の私有財産を略奪し、非効率かつ非常に偏ったやり方で富を再分配する計画主義は許されるものではない。ちなみに、これは生活保護を否定するものではないことは強調しておかなくてはいけない。

自由主義を目指すなら、つまり政府による介入(規制と税金)のない社会体制を目指すなら、市場経済での競争に負けた人を助けるセーフティーネットは必要であり、生活保護がそれにあたる。しかし、声の大きな人にだけ特権的に与えられる各種の再分配は、実のところ非常に不平等であり、やめなくてはならない。

まとめ

私は自由主義者として、前澤氏の挑戦には声援を送りたい。しかし、日本が自由主義国家にならない限り、民間主導の富の再分配が本当の意味で根づく社会を目指すのは非常に困難であると思われる。

『隷属への道』はこちら